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プロフェッショナルで取り上げられ、再びオグリキャップが脚光を浴びています。
ただ、オグリキャップ物語を放送時間内で表現するのは難しく、リアルタイムを知らないファンからは、放送内容がオグリキャップの全てとは言えない、という声も耳にしました。
そこで、当時を知らない競馬ファンに向けて、プロフェッショナルが描き切れなかったオグリキャップ物語を書いてみたいと思います。いつ、合計何回になるか分かりませんが、徒然なるままに。
近藤俊典オーナーへの売却
放送では、小栗オーナーから佐橋オーナーへの売却は描かれていたものの、オグリキャップの競走馬人生を劇的にした最大の要因は、89年の近藤俊典オーナーへの売却です。
4歳(現表記で3歳)の身で有馬記念を制した翌年、佐橋オーナーが脱税の容疑から馬主資格を失う可能性が生じたため、近藤オーナーへの売却が発表されます。引退後には佐橋オーナーに所有権を戻す条件で、2年総額5億5000万円という金額でのいわばレンタル契約のような状態。
現役最強馬の座に就いたオグリキャップであれば回収可能な額ではあるでしょうし、G1オーナーの称号を手に入れるためと考えれば高過ぎる額とはいえませんが、それはあくまで「馬が順調であれば」という条件での話。
神様のいたずらか、皮肉なことに売却の話が世に出るのとほぼ機を同じくしてオグリキャップは故障を発症し、春全休となってしまいます。
秋5戦のローテーションのはずが…
休養を経てターフに戻ってきたオグリキャップ。陣営が組んだローテーションは、オールカマー、毎日王冠、天皇賞秋、ジャパンカップ、有馬記念の5戦でした。超一流馬にとってはかなりハードなローテーションと言えるでしょう。それでも当時の主流ローテである秋4戦よりも1戦多いだけなので、そこまで批判的な世論は無かったような気がします。
このローテーション通りに事が運んでいれば、後の魂を揺さぶるようなオグリキャップ物語は生まれていなかったことでしょう。
立ちはだかったスーパークリーク
復帰緒戦のオールカマーを大楽勝、続く毎日王冠ではイナリワン、メジロアルダンとの世紀の名勝負を演じハナ差勝利。ここまでは目論見通りでした。続く天皇賞秋、ただ一頭、単枠指定(枠連時代、取り消しによる混乱を避けるため、圧倒的人気が予想される馬は1頭にされていた)となったオグリキャップ。しかしここに立ちはだかったのが武豊とスーパークリークです。
直線で馬群を捌くのに手間取るオグリキャップを尻目に早めスパート。オグリキャップは外に出して懸命に追うもののクビ差届かず2着に終わります。この敗戦をうけて、さらなる仰天プランが陣営から発表されることとなるのです。
つづく